〔064〕奥穂高岳 (3,190m)

標高差:2,144m(登山口から1.660m)

2007年09月09日(当時58歳)


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岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂
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  台風9号が関東地方を通過したので台風一過を期待して出掛ける。東海北陸道を走り清見ICで下りて
新穂高へ。 無料駐車場に着いたのは日も大きく変わった2時30分であった。 このまま出発しても良いくらいの時間であるが、
ひと寝入りすることにした。

下山
  ガレ場は下りも辛いが登りよりマーキングが判り易い。 マーキングを辿ると若干では
あるが浮石が少なく歩き易い。 ガスが少し切れてきたので登り時に見えなかった景観の
写真を撮りながら山荘から3時間10分で登山口に着く。 自転車は無事だった。
林道ダウンヒルを堪能する。
  20インチの折畳み自転車であるが、お粗末ながら前後にショックが付いている。
林道は登り返しが無しであり、快適に飛ばすことが出来る。 水抜きの溝はBTRで散々
練習したマジックジャンプでスピードを落とすことなくクリヤー出来た。
30分で新穂高の駐車場に帰り着く。
カモシカとの遭遇
  自転車で疾走していると林道にカモシカが立っていた。 カモシカは自転車を見て慌てて逃げてしまい、こちらも自転車に乗っているのでカメラを直ぐに出すことが出来ず、残念ながら写真に収めることは出来なかった。 カモシカを見るのは鳳凰山と2回目であるが、シカと比べて随分大きかった。
新穂高からの標高差
  一般の登山道で日本一の標高差は馬場島から剣岳の2,229mと言われているが、新穂高からの奥穂高岳も2,144mあり85mしか変わらない。 どちらのコースにも言えることは登り返しがないことでこれが日帰りを可能にしている感じがした。
今日の温泉
  念願の無料露天風呂である ”新穂高の湯”に浸かる。 混浴であるが橋の上から丸見え、若い女性は水着で入っている。 脱衣所は一応男女別であるが、脱衣所が狭い。
それより湯温が低く10分程入ったが体が暖まった感じがしない。 俺は熱風呂好き。
雑感
 ”飯豊山”より酷いガスであったが、景観が見えないながらも、もう一度登ってみたい
山だと感じたのでリベンジを誓う。 但し、白出登山道では無く、混雑覚悟で上高地側から登って見たい。

深田久弥著の「日本百名山」から
  明治の末年頃から、日本山岳会の先輩たちが相次いで登り、それまで一括して穂高と呼ばれた岩礁群に、
北穂高、奥穂高、涸沢岳、前穂高、西穂高、明神岳という風に、それぞれの名称が与えられるようになった。
その最高は奥穂であってわが国第三位である。
Road Map :名神高速、東海北陸道を走り、清見ICで下りる。高山から平湯を経由して新穂高へ。
Routo Map:新穂高から右俣林道を歩き、白出登山道を往復する。日帰りには少々きついコース。
日本百名山』 台風一過の晴天狙いであったが飯豊山に続いてのガスガスとなり、近々のリベンジを誓う。
−−− 駐車場 白出登山口 白出岩切道 白出大滝 ガラ場取付 奥穂高岳小屋 奥穂高岳
登り→ 5:35 7:00 8:00 8:32 9:36 11:46 12:31
←下り 17:04 16:35 15:41 −−− 14:51 13:15 12:40
トータル:11時間29分 (休息時間含む)
登り:6時間24分、下り:4時間24分
駐車場を5時35分に出発
  早立ちするつもりが寝たのが3時過ぎなので寝過ごし(?)てしまい5時に目が覚める。 今回導入の新兵器、
折畳みアシスト自転車をトランクからひっばり出してロングコースとしては遅い時間の5時35分に出発する。アシスト自転車はノーマルモードだと扱ぐ負荷が高く足に来るのでターボモードで走っていると林道半ばに
してバッテリーが切れてしまった。 後は自転車を押して歩くが林道の勾配が少ないので苦にならずに登山口
まで行くことが出来た。 帰りの疾走が楽しみである。
林道を真っ直ぐ進めば ”槍ヶ岳”に行ける。
登山口の標高が1,530mでここでやっと上高地と同じ標高となる。
新穂高の駐車場から自転車を押して林道を歩くこと1時間25分で
”白出登山口”に着く。 林道は更に伸びている様に見えるがこの先で
終点の様だ。 自転車はチェーン錠2つで看板に括り付けるが、いたず
らされないか心配ではある。 看板の右側が登山口となる。
ここまでも ”白出沢”沿いの道であったが、登山口から23分も歩くと
”白出沢”が見え出した。 台風9号での大雨の影響か沢水は多く、
しかも濁っていた。
登山口からの道は展望の効かない樹林帯であり勾配は穏やかに続く。
石の路面はコケ生しており非常に滑り易い。 お花も少しは咲いてい
たが小雨が降っているので花に目が行かない。
ここで先行者2人が引き返そうとしていた。 台風の大雨で木橋が横を向いてし
まい渡れないのだ。 ここを通ったことがある二人は沢水が異常に多いのでこの
先も危険との判断らしいが、俺は靴を脱いででも沢を渡る気なので、橋より少し
下を渡渉する。 靴は少し浸かるが問題無く渡れた。 それよりも雨が強くなり
増水すれば帰れなくなる可能性がある。
このプレートに書いてあることを読んでいれば、この後の道間違いは無かったと思うが、写真を
撮っただけだったので岩切道の文字に気付かず。白出岩切道は ”重太郎道”と呼ばれているらしく、実際に通ってみて、よくぞこんな所に登山道を作ったものだと感心した。
ここまだは小雨が降ったり止んだり、カッパを着たり脱いだりで
あったが、気温が低いのでカッパを着ていても苦にならなかった。
又、橋まで引き返して正面の壁を登るとトラバース路があった。 トラバース路
(白出岩切道)はくさり、ワイヤーが設置してあり恐怖感はそれ程でもないが、
スリリングには間違いない。 道間違いでこの下の沢を歩いたが、こちらの方が危ないくらいだった。
沢に下りてみると傾いた橋とその先にゴルジュが目に入る。この写真でも見える
トラバース路に気付かず、沢登りしながらゴルジュを奥深く進んでしまう。
滑滝にぶち当たりどこを登ろうかと考えている時に先ほどの2人がトラバース路
から声を掛けてくれた。 中年親父の俺が沢を渡ったので付いてきた様だ。
トラバースを終えて振返る。 もし沢を強行軍で登ってしまっていたら、
滑落しているか、ここに出ているかのどちらかだったのだろう。
トラバース路から沢を見ると先ほど間違って遡上した地点が見えた。
上から見ていればバカに見えたんだろうなー。
大きな滑滝(沢?)は全体に水が流れていたが、
これも台風の大雨の恩恵か?
大滝の上に沢渡りの木橋があるのだが、登り時は薄影で書いた所に
木橋があり、おっかなびっくり渡ったが下山時には橋が落ちていた。
自然に落ちたとは思えず、誰かがバランスを崩して橋を落としてし
まったものと思われる。
登山口から1時間30分で落差45mの段瀑である ”白出大滝”に
着く。 5段にも6段にも見える迫力ある滝だ。
二俣になっており手前に大きな ”滑滝”があった。
しばし見とれる光景である。
くさり場を経由して樹林帯に入って行く。
涸れ沢の上方を見ると大きな岩峰から ”糸滝”が見えていたが、
下山時には滝は無くなっていた。
一帯はササ原の中にコメツガとトウヒが林立しているらしいが、
コメツガとトウヒの区別が付かない。
くさり場の次の梯子を消化するとジグザグの急登になってくる。
登っても登っても浮石だらけのガレ場が続く。 ここがハイカーが嫌がる浮石地獄の始まりか!
ガスが無ければどれだけ雄大な景観かと思ってしまうが、先が見えない状態での登りは修行以外の
何ものでもない。 時折、両側の斜面から落石の音が聞こえる。
登山口より2時間30分で樹林帯を抜け”ガレ場”の下部に出る。
ガスで先が見えないし登山道もはっきりしない。
マーキングは沢山あるがとても登山道には見えなかった。
恐ろしい程に真っ直ぐに突き抜けているガレ場。
積雪すれば格好の山スキー斜面になるのかも知れない。
左右の写真は下山時、ガスが少し切れた時のもの。
この石のほとんどが浮石で気が抜けない。 足を置くと落石は
するが斜度がきつくはないので転がっては行かなかった。
山荘横からは垂直登りが始まり、ハイカーが一人先行してくれたので、抜かさずにガイド役として付いて行く。
登山口から4時間50分にて ”穂高岳山荘”に着く。
ガレ場登りだけで標高差780m、2時間10分も掛かってしまった。
ここからは大展望が得られる様だが今日は生憎の視界ゼロ。
休憩せずに ”奥穂高岳”に向う。
出発して6時間56分、登山口から5時間30分にて ”奥穂高岳”山頂に着く。
標高は日本第三位の3,190mであるがガスで展望はまったく得られず残念!である。
この時、山頂から晴れた展望が得られるまで、通い詰めることを決意する。
くさり場、梯子を消化すると比較的穏やかな尾根道となるが、ガスで展望はまったく得られず。
誰かの慰霊碑かと思ったが、おしゃれな道標だった。
”穂高山荘”まで下りて、振り返り見た梯子場にはカッパを着たハイカーが下りて来た。
彼も ”残念でした!”の仲間である。
下山時くさり場の上から”穂高岳山荘”を見る。もう少しガスが
切れた時があったがチャンスを逃がしてしまった。 対面には
”涸沢岳”が聳え、これも登る予定であったが今日のガスでは
登ってもしょうがないので ”涸沢岳”は中止した。
”穂高山荘”に戻って昼飯にする。
昼飯休憩10分にて下山に入る。
薄いガスの中に先行者が居た。
ヘルメットまで被っているが歩き
は至って遅い。 直ぐに追い付き
挨拶をして抜き去る。
おくほだかだけ
1回目
一般車が入れない右俣林道であるが登山口に駐車場とトイレがあった。
停まっている軽バンは関係者の物なのか。
下山途中から振返り見た梯子場には2人が張り付いていた。(赤丸部分)
2km以上は続く長いガレ場を消化して行く。
全てがグラグラした浮石なので、下りと言えスピードは出せない。
奥穂高の山頂からは景観を得れれなかったが、
白出沢の渓谷を見れたのは慰めものだった。
白出沢の峡谷に戻ると、崖っぷちの細いトラバース路が始まる。
今田重太郎さんが作ったと言われている、”岩切道”は真に岩を切り開いた
感じがしみじみと判った。 渡渉が終われば、普通の登山道で登山口まで戻る。
白出岩切道”
山荘横のくさり場に取付くが、ガスが濃くてくさり場が見えない。
道間違いの遭難には気を付けたい。
おいらはガレ場登りで疲れているが、ガイドさんも
相当お疲れの様だった。 くさり場が終われば先行させて頂く。
ガスが薄くなり、登り斜面が見える様になった。
安全対策上のマーキングの数が凄かった。
登山口から新穂高まで
  登山口にデポしておいた自転車で林道をすっ飛ばし、本日一番の爽快感が得られた。
穂高に生涯をささげ、「穂高の名ガイド」と呼ばれた
今田重太郎。 標高2,996m、奥穂高岳山頂直下に建つ
「穂高岳山荘」の礎を築いた。 その生涯を通して、登山客の命を守り、登山客が安全に体を休めて英気を養える
快適な山小屋造り、登山に慣れない女性子供でも安全に
通れる登山道造りを目指した。 「人の倍力があって、
人の3倍仕事をする。 何かやろうとしたら、ものすごい
情熱を持ってやりとげる人でした」
今田重太郎さん